ちょうどいいを知る
僕はミニマリストじゃなくなっていた。
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限のモノだけで暮らす人。
だとしたら今の自分は違う。
ミニマリストを知ってから
ミニマリストしぶさんや佐々木典士さんの生活の様子がかっこいいと思った。
部屋にモノがほとんどない。
洗練されているように感じた。
(写真元:スーモジャーナル)
当時モノの多い自分の部屋を見て、対極にあるその光景に強く惹かれた。
(空いている場所を埋めるのが快感だった頃)
「ミニマリストになる!」と決めた。
モノを減らすと気持ちよかった。
自分のすっきりとした部屋。まるで前述の二人のような部屋でかっこいいと思った。
モノが減っていくのも快感だった。
メルカリやラクマで不要なモノが売れていく。
お金も増えるし、空間も広がる。
片付ける時間も減る、掃除の時間も減る。
生活の中で好きじゃなかった時間が減る。
これはすばらしや!
(一人暮らし時代。片付けも掃除も楽だったよ。)
でも好きな時間が何かわからない。
ミニマリストをきっかけに(SNS上で)出会った人たちと同じことを取り組めていることが好きな時間だったのかもしれない。
お互いを認め合いながら、何となく足先を揃えて進んでいる感じが安心できた。
でもその先にあるやりたいことやなりたい自分はわからなかった。
それから2年近く経った。
ミニマリストを経験して
最近になってあることに気づいた。
僕がなりたかったのは、必要最小限のモノで暮らす人ではなく、ちょうどいい暮らしをする人だった。
適量が計量スプーンを擦り切った量だとする。
昔は過剰に持っている人だった。
計量スプーンに山盛りの調味料を盛っているイメージ。
必要以上にあるから濃かった。選ぶ時間も管理する時間も掛かりすぎた。濃すぎた。辛い。
(こんなに必要なはずがない。これで一部。)
ミニマリストを目指した時はゴールがわからずに減らしすぎた。
擦り切った後もまだ減らしていた。だから何となく物足りない。不足。薄い。
「あれ?何であれまで手放しちゃったんだろう。」そして買い足す。
そうしているうちにいつの間にかいい塩梅にたどり着いたような気がした。
(いい塩梅クローゼット。)
決して最小限ではない。言葉で表すなら適量。ちょうどいい。
「ミニマリスト=最小限」と言われるのであれば、ミニマリストではない。
もっと減らすことはできる。でも僕のちょうどいいは多分今ぐらいだ。
数を数えるのもやめた。でもみんな把握はしているよ。でも何枚とか、何足とかはどうでもいい。
大事なのは把握しているモノをどれだけ愛せて、どこまで共に暮らせるか。
そこだと思う。Twitterのアカウント名からミニマリストという文字を消した。
樹木希林さんの言葉
樹木希林さんの本の中の言葉で「モノの始末をする」という言葉に強く惹かれた。
最後は雑巾になるまでモノと一緒に過ごす。
先日のとある服のイベントで「うちの服を最後雑巾にするまで…」という言葉をおっしゃられていたデザイナーさんがいた。だからこのブランドに惹かれて、好きなんだと思った。
なんでもかんでも不要と思ったら捨てればいいという感じが苦手だったんだ。
苦手に気づくために必要だったのがミニマリストというステータスだった。
だからミニマリストになって良かった。
モノとあたたかく暮らす
次の自分の関心ごとは愛するモノたちを大切にしながら、長く、最後まで過ごせるか。
そのために洗濯やお手入れ、リペアや染めのことを知っていきたい。
(左:我が家の洗濯洗剤)
次のステージに進んだような気がして嬉しい。ミニマリストを知った時のようにワクワクする。
今まで通り長く愛せるモノの紹介をしながら、選び方、お手入れの仕方などを発信していきたい。勉強する!
藍染染めをしてもらった時の記事↓
そして心地良い暮らしを目指していきたい。
(心地良さそうな野良猫のトラちゃん)
最後までお読み頂きありがとうございました😊